20230413 「なぜ好きなのか」を言語化できるか?
妻とその友人が「なぜ好きなのかを言語化できるのは実はすごいこと」というやりとりをしていた。確かにそうかもしれない。
その時は映画の話で、僕も先日観た「シン・仮面ライダー」が好きな理由を考えてみた。
まず、悪役がなぜああいう所業をしたのかという背景にエヴァと似たような世界観を感じた。(流石の庵野節。シン仮面ライダーはシン・ゴジラ、シン・ウルトラマンに比べて暗い雰囲気があるところが賛否両論になっている気がするけど、僕は好きだった)
エヴァしかりだが、おそらく、誰かが深い絶望を味わって、倫理的には誤っている(とされる)方法を取ることでなんらかの救いを求める、というようなストーリーに惹かれるのかもしれない。トロッコ問題的というべきなのか?自分や自分の大切な人を救うために他の大勢を犠牲にしてもやむなし(というか「犠牲にする」という認識でもないのかも)、という思想に対して、どうしようもなく切なさを感じてしまう。
これは、自分が「そこまで振り切った行動をできない」という生真面目さがあるが故に、そういった行為をできる人に対しての憧れがあったり、実行した(あるいはしようとする)姿にある種の痛快さを感じるのかもしれない。
今、上記を書いていてふと 映画「容疑者Xの献身」を思い出した。これもかなり心に残っている作品で、方向性は違えど「トロッコ問題を、その人の信念に従って回答する」という意味では似ているかも?僕は実際にトロッコ問題が起こった時にレバーをどちらに倒すこともできない人間だという自認があるが、強い覚悟を持ってレバーを倒す人間にある種の尊敬の意を抱いてしまうのかもしれない。 うーん違うか?上記ほどに一般化しちゃうと、世の中の物語の結構多くはこれに当てはまる気がする😅
もうちょっと絞り込んだ表現にしたいんだけど、言語化は難しい。
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久しぶりにこういう文章を書いた。そうだそうだ、こういうのをちょくちょく書き留められるからscrapbox日記は楽しいんだ。
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